* * *
翌日の朝、シルヴィアは、はっと目を覚ました。 いけない、いつの間にか眠っていたよう。 ふと、シルヴィアは手に目線を落とす。 すると、抱きしめていた髪飾りがなくなっていた。 (髪飾りがない、一体どこに……) 必死に探すが見つからない。 すると騒がしかったのか、「お姉さま、ちょっとよろしいかしら?」とリリアが廊下から部屋に入ってきた。 「まあ、この部屋、なんて散らかってるの! お姉さま、何をお探しになられているの?」 「か、髪、飾りを……」 リリアは思い出したかのように両手を合わせる。 「ああ、それならさっき商人が家に訪ねてきて、お母さまがお売りになられたわ」 リリアの言葉に、シルヴィアは凍りついた。 「お母さまに渡して正解だったわ。あんな古びたゴミでも、民のための資金になったのだから。お姉さま、よかったわね」 「どう、して、そんな……」 「だって、私こそが本物の聖姫なんだもの」 リリアは公言すると、部屋から出ていき、扉を閉めた。 彼女は継母に甘やかされ、いつもそう言い聞かされていることから、自分より優れていることを主張する。 けれど、リリアの聖姫の力を見たことは一度もない。 だからなんだというのだ。髪飾りが売られてしまった事実は変わらない。 シルヴィアの胸がきゅっと締め付けられる。 あの髪飾りは、母が亡くなった後に、「シルヴィア、お前が持っていなさい」と父から唯一託されたものだった。 それゆえ、両親からの愛を感じられたものでもあったのに────。 * * * そして時間だけが過ぎ、午後。継母とリリアが民の元へと出掛け、シルヴィアは薬草摘みに出るが、気が重く、家から少し離れた森の太い木の前で一人震えながらうずくまる。 するとそこへ、金髪の青年が近づいて来た。 肩ぐらいまでの長さの髪をしたこの青年の名は、フィオン・ライトナー。 シルヴィアにとって2つ年上の幼馴染であり、兄のような存在だ。 そして何より、彼はいつも密かに薬草集めを手伝ってくれる心強い味方でもある。 「シルヴィア、どうしたんだ?」 フィオンの心配そうな声に、シルヴィアは髪飾りのことを涙を堪えながら話す。 「自分がうっかり部屋で眠ってしまったせいで、隠してあったお母さまの唯一の形見の髪飾りをリリアが継母に渡してしまい、売られてしまったの……」 「そうか……大丈夫だよ。僕がついているからね」 フィオンは温かな声で言うと、一輪の美しい黄色の花をそっと手渡してくれた。それはまるでお守りのようだった。 その後、フィオンが優しくシルヴィアの頭を撫で続けてくれたことで気持ちが落ち着くと、シルヴィアはふとフィオンの顔がすぐ近くにあることに気づく。 お互い少し気まずくなりながらも、2人で薬草を集め始めた。 やがて必要な薬草をすべて集め終えると、フィオンはシルヴィアをおんぶして歩き出す。 「フィオン、一人で帰れる」 「途中までだから」 フィオンはいつも優しく、温かい。 自分が落ち込んでいるとき、森に咲く美しい花を贈ってくれる。 いつでもそばで支えてくれる、今でも唯一自分の味方でいてくれる。 (もう二度と大切なものを奪わせない) シルヴィアは決意し、この絆が、関係がずっと続くことを願った。 けれど数日後のこと。 シルヴィアはいつものように森の薬草が生える場所へ向かうと、そこでフィオンの姿を見かけた。 「フィオ……」 声をかけ、その場所に足を踏み入れようとする。 しかし、リリアが突然現れ、行く手を阻んだ。 「お姉さま、ご覧になって! とっても素敵な花束でしょう?」 「彼がくれたのよ」 いるはずのないリリアがこの場にいる。 嫌な予感がシルヴィアの胸を締め付けた。 「フィオンはもう、私の護衛なのよ、お姉さま」 リリアの言葉にフィオンの目が揺れ、唇が震える。 (もしかしたら…………) シルヴィアの目に仄かな光が灯る。 だが、フィオンは冷たい顔をし、無言で後ろに下がった。 フィオンは否定してくれるのではないか。 リリアが手に持つ美しい黄色の花束は自分を励ますために用意されたものだったのではないか――そんな淡い考えが一瞬頭をよぎり、自分が恥ずかしくなった。 ロレンス家の圧力とライトナー家の金銭的理由により、フィオンがリリアの護衛となった事実は明白だというのに。 リリアの花束から黄色の花びらがひらりと舞い落ちる。 いつも自由に足を踏み入れられたこの場に、まるで境界線が引かれたよう。 その境界線を越えることが出来ず、シルヴィアの心は静かに砕けた。* * *それからシルヴィアは森への立ち入りを禁じられ、フィオンに話しかけること、口を聞くことさえ許されず、フィオンが摘んだ薬草をリリアを通じて受け取り、黙々と薬を作り続け――ある日の夜。居間で家族3人が幸せそうに豪華な食事を楽しむ中、シルヴィアが黙ってその光景を見つめていた時、父が重い口を開いた。「リリアの聖姫の噂が皇室にまで届き、注目を集め、皇太子ハドリーの花嫁として迎えたいと縁談の話が持ち上がっている」だが、ハドリーには「醜く、女遊びが激しく、そばにいる女性は3年も生きられない」という恐ろしい噂があった。その噂は皇国中に広まっているという。リリアは皇室の権威に心を惹かれながらも、ハドリーの恐ろしい噂に、両手を重ねた指先を小さく震わせていた。それでも、彼女は父をまっすぐに見据えた。「お父さま、こんな皇太子と結婚なんてしたくないわ」リリアは、きっぱりと縁談話を拒んだ。だが、ロレンス家は皇族に逆らえない立場にあった。皇室に敵対することは決して許されず、避けられない現実が重くのしかかる。継母の顔には、皇室の権力への執着と、どこか怯えたような表情が浮かんでいた。すると、その空気を感じ取ったリリアは声を震わせながら一言付け加える。「でも、私が縁談を断れば家族に迷惑がかかってしまうわ」その瞬間、継母が冷たく言い放った。「だったら、シルヴィアを身代わりに差し出せばいいじゃない」継母の冷酷な提案に、シルヴィアは息を呑んだ。けれども、父はきっと反対するに決まっている。しかし、甘かった。その仄かな期待は脆くも崩れた。「──そうだな」「シルヴィアを身代わりとして嫁がせるよう、皇室と交渉しよう」父の言葉に、シルヴィアの心は凍りついた。それと同時にきゅっと恐怖と諦めが胸を締めつけた。けれど。(例え死ぬとしても、わたしの意思で生き抜く)だが、シルヴィアの強い決意とは裏腹に、父は提案を切り出すのをためらっているのか、皇室からの使者が何度も家を訪れ、シルヴィアの心は不安に揺れ続けた。* * *ハドリーは宮殿内の会議に出席していた。空気は重く、騎士長たちのざわめきが広間の壁に反響し、ステンドグラス越しに差し込む光が眩しく感じられる。その時、着席していた皇帝が深く響く声で口を開く。「急に呼び出してすまない。光が降りてきたによっての」皇
* * *翌日の朝、シルヴィアは、はっと目を覚ました。いけない、いつの間にか眠っていたよう。ふと、シルヴィアは手に目線を落とす。すると、抱きしめていた髪飾りがなくなっていた。(髪飾りがない、一体どこに……)必死に探すが見つからない。すると騒がしかったのか、「お姉さま、ちょっとよろしいかしら?」とリリアが廊下から部屋に入ってきた。「まあ、この部屋、なんて散らかってるの! お姉さま、何をお探しになられているの?」「か、髪、飾りを……」リリアは思い出したかのように両手を合わせる。「ああ、それならさっき商人が家に訪ねてきて、お母さまがお売りになられたわ」リリアの言葉に、シルヴィアは凍りついた。「お母さまに渡して正解だったわ。あんな古びたゴミでも、民のための資金になったのだから。お姉さま、よかったわね」「どう、して、そんな……」「だって、私こそが本物の聖姫なんだもの」リリアは公言すると、部屋から出ていき、扉を閉めた。彼女は継母に甘やかされ、いつもそう言い聞かされていることから、自分より優れていることを主張する。けれど、リリアの聖姫の力を見たことは一度もない。だからなんだというのだ。髪飾りが売られてしまった事実は変わらない。シルヴィアの胸がきゅっと締め付けられる。あの髪飾りは、母が亡くなった後に、「シルヴィア、お前が持っていなさい」と父から唯一託されたものだった。それゆえ、両親からの愛を感じられたものでもあったのに────。* * *そして時間だけが過ぎ、午後。継母とリリアが民の元へと出掛け、シルヴィアは薬草摘みに出るが、気が重く、家から少し離れた森の太い木の前で一人震えながらうずくまる。するとそこへ、金髪の青年が近づいて来た。肩ぐらいまでの長さの髪をしたこの青年の名は、フィオン・ライトナー。シルヴィアにとって2つ年上の幼馴染であり、兄のような存在だ。そして何より、彼はいつも密かに薬草集めを手伝ってくれる心強い味方でもある。「シルヴィア、どうしたんだ?」フィオンの心配そうな声に、シルヴィアは髪飾りのことを涙を堪えながら話す。「自分がうっかり部屋で眠ってしまったせいで、隠してあったお母さまの唯一の形見の髪飾りをリリアが継母に渡してしまい、売られてしまったの……」「そうか……大丈夫だよ。僕がついているからね」フィオ
* * *(どうして、こんなことになってしまったの……?)シルヴィアは、ほんの少し前まで、民家の小さな庭を箒で掃いていただけだった。それなのに、人さらいに遭い、こうして煌びやかな宮殿に隣接する邸宅の豪華絢爛な応接間で跪く羽目になったのだ。目の前の椅子に座るのは、リンテアル皇国の皇太子、ハドリー・リンテアルその人だった。いつ刃を向けられてもおかしくはない。シルヴィアは、姿勢を正して彼を見据える。彼は冷ややかな視線をこちらに向けながらも、その瞳の奥にはかすかな興味の光が揺らめく。「どうか、このシルヴィア・ロレンスを貴方様の花嫁としておそばに置いてくださいませ」シルヴィアは絨毯に額を擦りつけるように深く頭を下げ、声を震わせながら必死に懇願した。生き延びるために、彼の偽の花嫁となるために────。* * *「この汚らしいピンク髪が!」継母の鋭い怒鳴り声とともに、手作りの熱いスープが頭上からシルヴィアの髪に降りかかった。暖かな春の日が窓から差し込み、明るくあたたかいはずなのに──朝の食卓の片隅で彼女だけが、底なしのならくへ突き落とされたようだった。スープはピンク色の髪を伝って滴り落ち、びしょ濡れになった長い髪が頬に張り付き、シルヴィアは跪いたまま唇を噛んで涙を堪えた。シルヴィアは庶民のロレンス家に生まれ、今年で18歳となる。10年前、母ルーシャが病で亡くなり、父ラファルが再婚した。けれど、継母ブライアとその娘リリアが家に入ったことで生活は一変。リリアは2つ年下で華やかな金色の長い髪と美貌、そして病や怪我を癒す聖姫の力を持ち、皇国からの援助金によって、家は裕福になった。だが、その富と自由、家族からの愛はリリアにのみ注がれ、シルヴィアは「無能」と蔑まれ、家事全般やパン作り、そして薬作りを押し付けられ、牢のような部屋で虐げられた。それでも民が救われているならと、シルヴィアは耐え続けるしかなかった。「……申し訳ございません」召使いのごとく深々と頭を下げ、震える声でそう謝るが、その小さな声は食器のぶつかる音にかき消されてしまう。継母ブライアはナプキンを乱暴に卓上へ叩きつけ、見下ろす視線に冷たい笑みを浮かべた。「こんな熱いスープ、飲めると思って!? もしリリアの口を火傷させたらどうするつもり? あんたは本当に、何ひとつまともに出来ないん